noike

昨日の日記に書いた写真家の植田正治さんは、
ヨーロッパに『uedachou』という写真用語があるぐらい
世界でも名前を知られている写真家です。
1999年の福山雅治さんもCDジャケット写真を
福山さんの熱望で撮ってます。

大学生の時、私は実は工学部の機械工学科でした。
大学に入った時はHONDAに就職するつもりでしたが、
途中で写真家になる決意をしました。
しかし、どうすれば写真家になれるか解らなかったので、
色々な写真家の経歴を調べました。
ほとんど有名な写真家は東京に事務所があるなか、
植田正治さんの事務所は鳥取でした。お亡くなりになられるまで。
作品として鳥取砂丘をスタジオに見立てた写真を撮っておられた
ので鳥取にいたということもありました。
しかし、その時に「力さえあれば地方に居てても東京から仕事が
来る。そういう写真家になりたい。」と思いました。

1997年頃、あるアウトドアグラフイックマガジンの
編集部を知人に紹介してもらいました。
編集長が東京から来て巻頭8ページの撮影を兵庫の野池で行いました。
グラフィックマガジンなのでA4見開きで写真1点とかになるので、
楽しみで楽しみで、まるで子供の時に遠足に行く前日のように
なかなか寝つけませんでした。
それと、「この初めての仕事で編集部が自分の評価を決まる。
頑張ろう。」と思いました。
当日、順調に撮影が進んでいて編集長に「もうカメラを置いて
いいですよ。」と言われましたが、
まだ自分のイメージに100%満足のするものが撮れていなかったので、
光線と釣り人の動きを予測して撮影ポジションを決めました。
そこに釣り人がきて、運良く魚が釣り、
満足のいく撮影がやっと出来ました。それがこの写真です。

この写真とその日の撮影が評価をされ、巻頭8ページの予定が
13ページにまでなりました。
そして関西にいながら、関西や西日本もちろん、関東地方の撮影にも
呼ばれて4回ほど行くことが出来ました。海外取材撮影も行けました。

ひとつ、そういうことが出来た実績がつくれてよかった仕事です。