大学四年の夏から卒業した大学六年の三月まで住んでいた京都の下宿の部屋の壁に植田正治さん撮影の広告を貼っていました。その写真が好きで、でも当時の自分にはこの写真は絶対に撮れない領域でした。そして、そこに書いてあるコピー『写真は、ひとつの感情。映像にどれだけ自分を写し込むことができるか。それが、撮り手の証になる。』に深く感銘を受けて「どうしたら自分を写し込むことが出来るか」を眺めるたびに考えていました。

その写真と自分の写真の違いを考え続け、自分の写真論をみつけずっと自分の写真の根底にあります。ある時に「同じ場所で同じカメラとレンズを同時に持った人がいても、人とは違う自分の写真が撮れる」ことを感覚として持つことが出来ました。道標となり導いてくれた植田正治さんの写真と言葉に心から感謝します。

写真は大学五年時にチベットで撮影した作品で「少しなにか出てきた」と思えるようになった頃の一枚です。